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気まぐれ 冷酷 傲岸不遜
悪魔のようないい女
酒を好んで戦を愛す
二人といないいい女
臆病者にゃ落とせない
命が惜しきゃやめときな
 
無意識に口を突いて出た旋律に、ローミエ=リクスルートはペンを走らせる手を止めた。
 海を女性に喩えた、陽気で勇ましい歌だ。
伝染(うつ)ったか」
真っ白い紙の上には、整った字と揺れる昼下がりの光。
ふう、と息を吐き、椅子に腰かけたまま体を伸ばす。
柔らかい、少し潮の匂いのする風が、カーテンと彼の黒い髪を靡かせた。
「…………」
琥珀を思わせる、橙がかった茶色の瞳が、ゆっくりと細められる。
と、上下の瞼が触れ合った瞬間。
 
がさっ。
 
乾いた音に、ローミエは再び目を開いた。
 
がさがさがさっ。
 
「――……?
机に立てかけた松葉杖を両脇に抱えて、窓へと近づく。
左脚の膝から下を事故で失って五年。始めこそ不便に思われたそれも、今は彼の身体の一部となった。
カーテンの向こう、鮮やかな緑の梢を訝しげに見遣ると、葉の間からちらちらと、光沢のある黒いものが覗いている。
それが靴の丸い爪先だと気付くや否や、頭上から声が降ってきた。
「――避けろ!!

 同時に、目の中に飛び込んだ白いレースと腹部への衝撃。

 意識が白く塗り潰されて、やがて暗闇へと落ちていく。

 しかし、すんでのところでローミエは踏み留まった。

「…………てっめぇ、は……!」

 軋む身体を起こし、見事「着腹」したその人物  幼馴染の少女、シィン=レウ=リーデルヴェニカを睨みつけようと顔を上げる。

「すす、すまん! ……聞いてくれ、ちゃんと降りられるはずだったんだぞ? でもスカートが枝に引っかかってだな」

「ちゃんと玄関から入って来いって、いつも    

 そこまで言うと、彼は言葉を失った。

 腰まで届くほど長い、彼女の明るい金髪  今は木の葉まみれになっている  が、肩口で無残に失われていたのを見て。

 

 

事情を尋ねると、シィンはどうやら父親との口論の末、自ら髪を切ったらしい。

 思い出して憤慨する幼馴染を見ながら、ローミエは首を捻った。

 ……原因と結果が全く繋がらない。

  ま、いいや」

 破天荒な彼女の行動を理解するなんて、とうの昔に諦めたことだ。

 ベッドに腰掛け、その前に椅子を置いて、シィンを座らせる。

「言っとくが、俺そんなに器用じゃないからな。綺麗にしてほしけりゃ理髪師に頼め」

「んー、別に。整えてくれればいい」

 シィンが背を向けたままで答えた。小柄な彼女は、床に着かない脚をぶらぶらと揺らしている。

「動くなよ。耳が切れるぞ」

 頭を軽く叩いて大人しくさせると、ローミエはその髪に鋏を入れた。

 しゃきしゃきと響く小気味よい音と共に、光の束が足元の新聞紙へと落ちていく。

 整える、といってもなかなか難しい。

慎重に刃をあてがい、最も短い一房に合わせて揃えると、血の筋も透けるほど白い項が露わになった。

「ひゃ」

 触れる金属の冷たさに、シィンが身を捩る。

「動くなっての。    よし、こんなもんかな」

 ローミエは鋏を置いて、彼女の服から毛先を払い落とした。

 頭を振って、シィンが肩越しにとろけるような笑みを見せる。

「ったく……何でそんな嬉しそうかねぇ」

 ローミエは呆れて溜息を吐きながらも、自然と緩みそうになる頬を何とか律した。

「……だって、そろそろじゃないか」

 毎年春になると、必ず街へ戻ってくるのだ。

 街の人々の    何よりシィンの「英雄」が。

「……会ったら何て言われるかな、この頭」

「さあな。でもまぁあの人のことだから…………褒めてくれんじゃね?」

「…………だといいなぁ」

 一瞬の沈黙の後、すう、と息を吸い込む音が、ローミエの耳に届いた。

 

気まぐれ 冷酷 傲岸不遜
悪魔のようないい女
酒を好んで戦を愛す
二人といないいい女

 

 決して上手いとは言えないものの、朗々とした歌声が、小さな部屋に響き渡る。

 しかしそれは突然、大きな足音に遮られた。

    ローミエ!!

 結い上げた黒髪を乱し、額に汗を光らせて、女性がノックもせずにドアを開ける。

「かっ……母さん!?

 ローミエは狼狽えた。息子と同じくらい大きく目を開いて、女性はシィンと、散らばった金糸の束を見る。

「ああああんた、何してるのよ!!

「いやあの、これは……」

 慌てて足で髪を押しやり、鋏を隠そうとするがもう遅い。

 母親はしばらく状況が理解できなかったようで、こめかみを押さえながら低く唸っていたが、

「もういいわ! 後できちんと説明してもらいます!!

と叫んだ。

床に膝をつけて、シィンに視線を合わせる。

「それより、お嬢さんに知らせる方が先だわ! あの、マリーロールさんが  

「!」

 その名を聞いた瞬間、シィンは椅子を蹴倒すように立ち上がった。

 澄んだ緑色の大きな瞳が、期待に潤む。

「あ、ちょっと、お嬢さん!!

 そのまま彼女は部屋を飛び出し、風のような速さで駆けていった。

「もう…………」

 肩を竦めて、母親がローミエを見遣る。

「……わーってるよ、行きゃいいんだろ。追いつけねぇと思うけど」

「頼むわ。……じゃないとあの子、」

 一度言葉を切って、彼女は眉を顰めた。

    倒れちゃうかもしれない」

 

 

 

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